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思考停止と批判禁忌

「地方分権」といえば、すべて正しい。これに対する会議的な批判や中庸的意見は、排除される雰囲気が作られ、禁忌となっている。
 さらに批判的な思考さえも自主規制してしまい、地方分権のあるべき姿や是非などについて、考えることもしない。
 「小さな政府」もそうだ。「規制緩和」も最近少し批判がでているが、これもそうだ。「官から民へ」もそうだ。「市場」主義もそうだ。「改革」もそうだ。
 この中身のない危険なことばの呪いをぶつけながら、人の口を封じ、思考を停止させてゆく。

道州制の前提としての基礎的自治体

  第28次地方制度調査会の答申を読んでいて最大の問題点は、基礎的自治体の合併により、県の役割がなくなるという前提に立っていることだ。平成17年までに市町村合併が進んだ訳だが、それにより、足腰能力のしっかりした基礎的自治体が出来たのか疑問である。合併後の市町村行政についての実態把握が必要なのではないか。
 地制調では、まるですでに完璧な基礎的自治体ができたかのような前提で道州制を論じている。
 道州制を論じるためには、基礎的自治体のあり方と現実問題としての合併について、把握分析する必要がある。その作業を行わない論理は、机上の論理と思われる。

道州制導入が適当 地制調答申

 『 答申は、「市町村合併の進展」や「行政課題の広域化」に合わせ、国と地方の政府を再構築するためには、「道州制の導入が適当」と結論づけました。』といったような報道が行われた。地方制度調査会答申に関する報道である。このブログでもリンクしている地方制度調査会では平成16年の3月から2年間に渡って、本会議4会、小委員会38会にわたり「道州制」について議論をしてきている。ほかにも諮問事案があり、すべてが道州制以外にも議論されてきている。答申については順次読み込み分析したいと思うが、大きな疑問を持っている。
 審議会の議事録を順次読んでくると現在第35回までが公表されている。この34回までなんとか読んだところの各委員の発言は、道州制については、必要性がはっきりしないという意見が態勢であり、慎重論がつよいように思われる。ところが答申を報道が要約すると「道州制の導入が適当」ということになる。
 これによって道州制の議論は、調査会が「導入が必要」というお墨付きを与えたというところからスタートすることになった。
 34回の小委員会は、12月であるが、それから各委員がなるほど納得するような審議がなされたのであろうか。そうも思えない。ではこのような答申が出てくるのはどういう訳か?また、総務省の審議会の議事録がでるのが妙に遅い、審議会の経過をしらせたくないのではと勘ぐってしまう。
 
 日本の国家の形をきめる議論がこのような簡単な議論で行われてよいのか。正確な情報、客観的な分析、場合によっては複数の選択肢の提示と少数異論の併記などが必要であったのではないか。

 これで、日本の知性と言えるのか

 さらに面倒なことに、地制調では、潜在的な反対意見が多いと判断したのか竹中平蔵総務大臣は、私的諮問機関地方分権21世紀ビジョン懇談会なるものを立ち上げた。これは一体なんだ。法的な審議会よりも、さらに友達を集めたような懇談会をつくって政策に反映しようというのか???
 

スローガンで考える


 本来精緻な理論やリアルな現実認識から出発した結果のものだろうが、あまりに単純化されたと思われるスローガンは危険だ。だれもそれに異を唱えることができないような雰囲気を醸し出す。あれこれと思いつくものがあるのが、ひとによってはそれはスローガンではない、真実だというものもあるだろう。しかし、論証なしで当然の前提のように使われるとやはり怪しいと思わざるをえない。

例えば、「民にできるものは民に」、「小さな政府」、「自己責任」、「市場が判断する」、など、これらのスローガンは本当にそうなのか、冷静に考える必要がある。もちろんこれらがスローガンであったとしてもある状況のなかでは積極的に主張することが正しい場面もあっただろう。しかし、国家や社会の未来を考える者は、やはりリアルに精緻に冷静に考える必要がある。  
やはりスローガンは危険だ。

自分が正しい

 誰もが自分が正しいと信じている。凶悪犯でも自分が正しいと思っている。凶悪な反抗を悪と思っていなければ、当然そうだし、自分は凶悪な反抗をしたと思っていれば、そう思う自分は正しいと信じている。このことは心理学的、社会学的に正しいかどうかは、多少疑問だが、経験則上は真理であると思う。少なくとも、皆誰でもが自分は正しいと信じたがっている。盗人にも三分の理ということわざもある。
 それゆえ、人を説得することはできない。人を説教で導くことはできない。その人自身が自分でその道を見つけなければ、迷い道を抜け出すことはできない。しかし、先人の経験や他人の意見は常に宝庫であり、そこから様々なものをくみ出さなければ、自分の泉も涸れてしまう。
 自分が絶対正しいと思っていても、一旦、譲歩して、他人の意見を聞くことが大切である。少なくとも、人の意見を聞ける自分は正しいと思いたい。
 また、反対に人を説得しようとするときは、説得しようとするのではなく、その人を理解しなければならないと思う。至難ではあるが。  

Appendix

プロフィール

Author:くりきんとん
 22世紀まで、95年です。私は生きていません。22世紀がどういう時代になるかは、2030年までの21世紀はじめが重要であろうと思います。明るい新世紀が迎えられるよう20世紀人として、地域から、考えて見たいと思います。

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